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阪神電鉄には、3路線の路面電車が存在して いました。まず1路線の北大阪線(野田〜天神橋 筋六丁目間)は以前紹介しました。 そして、これから紹介する2路線が国道線と甲子園線 です。 まず阪神国道線は、野田〜東神戸(当初は神戸東口)間 を、現在の国道2号線を伝って走っていました。 その始まりは、阪神電鉄と阪神自動車軌道の2社によって 1927年7月に開通からです。 しかし、国道線は乗客が予想より低迷したことと、建設費 増大による財政圧迫で、経営は苦しいものだったそうです。 その理由は大阪・神戸の両ターミナルだった野田・東神戸が 都心とのアクセス上不便であったことと、沿線人口が少な かったことが挙げられますが、なによりも阪神が並行路線を 造らせないという焦りが最大の要因とされていたそうです。 一方の甲子園線は、阪神国道線の上甲子園〜中津浜間 を結ぶ路線でした。 甲子園線は、阪神電鉄の支線拡充計画の一環として、 また武庫川改修工事に伴う廃川地に、住宅やスポーツ施設、 レジャー施設建設の開発を狙っての計画された路線です。 まず1926年7月に阪神本線甲子園〜浜甲子園間が開通し、 その2年後の1928年7月には甲子園〜上甲子園間が開通 されました。1930年には浜甲子園〜中津浜間が開通され ましたが、1945年1月に休止になり、1973年9月に廃止 となりました。 そして、年月が流れ高度経済成長を迎えるとモータリゼーション (自動車社会の進展)が激しくなり、国道2号線にも自動車の 交通量が増加し、阪神国道線電車はノロノロ運転を余儀なくされ、 次第に邪魔者扱いされるようになってきたのです。当然、廃止 すべきの声も挙がっていました。 ただ一方で、現在の国道43号線が開通され、国道2号線の 交通量が減るのではという思惑があったそうですが、モータリ ゼーションはその思惑をかき消すかのように、自動車交通量が 更に増え、渋滞がさらに酷くなりました。 これに伴い廃止することを決定し、1969年12月東神戸〜 西灘間、1974年3月には上甲子園〜西灘間が廃止され ました。そして、その翌年の1975年には野田〜上甲子園間、 甲子園線、そして北大阪線もが廃止されました。 そして今日、阪神国道線を継承するかのように阪神電鉄バスが 阪神野田〜阪神甲子園間と、阪神尼崎〜神戸税関前間を運行 していますが、阪神野田〜甲子園間は1日僅か数便しかなく、 阪神尼崎〜神戸税関前間は1時間数便が運行していることから 両系統で明暗が分かれているのが現状です。 |
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